5ちゃんねるでの議論のアンチ側まとめ
反出生主義への反撃

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   反出生主義への二つの反論と一つの提案

*本ページには広告が含まれています。反出生主義とは、この世のあらゆる苦痛を無くすため、段階的に人口を減らし最終的に人類の絶滅を目標とする思想のことを言います。他にもいろいろなバリエーションがあるみたいですが上記のタイプを想定して書きます。一...
2024.05.05
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最近のコメント

おちょこ
おちょこ
2024.07.17
【強産魔お断り】反出生主義者専用雑談スレ Part1 というスレッドの357から読んでもらえばわかります。今読み返してみるとまず最初に天国を言ってそれからエアコンという順番になってますね。逆だと思ってました。
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匿名
2024.07.17
キノコについては普通はここまで詳細に説明しなくてもわかります。あなただけの特別対応ですよ。これでキノコは終わり。 あなたの認識について纏めると、「現時点での苦痛は除去できるもの/除去できないものに区別される。そして、除去できる苦痛は今後も継続して除去され続けると断言できるが、除去できない苦痛は今後どうなるかはわからない。そして、『苦痛は除去できる』としたのは、除去できる苦痛も除去できないと思い込んでしまっている人に向けての反論である」と。 それだと話の筋は一応通るけど、どうしても信じ難いのが、あなたが例に挙げた寒さや暑さ、静電気など、どうにでもなるような大した事ない苦痛を除去不可能と勘違いした上で反出生主義の根拠にしてしまった反出生主義者の存在。本当にそんな人いたの?で、あなたは10年間も勘違いし続けていたと?w。事実は小説より奇なりですね。私がその場に立ち会っていれば「あぁ、変な勘違いしている人への反論なんだな」ってわかるけど、その前提が私には無いから「(除去可能な)苦痛は除去できる」などとそんな当たり前の主張をする意味がわからなかった。まさかそんな勘違いをする人がいて、その人へ向けての反論とは思いませんからね。エアコンを入れれば快適になるのは当然だが、それと同じように全て解決できるとでも言いたいのか?と。その5ちゃんのスレはまだあるの?もし良かったらスレタイを教えてくれませんか?落ちてても過去スレの格納庫みたいな所を漁ればでてくるでしょ。 私の認識としては、反出生主義の論拠になるのは本人の努力、選択、意思などではどうにもならない不条理で理不尽で耐えがたい苦痛=除去できない苦痛ですし、そういう主張をする人が多く感じられます。私のような一般的な認識を持つ反出生主義者へはあなたの反論は無意味であり、あなたも初めから私のような反出生主義者は想定していないようなので、やはり、「反出生主義への反論」というか、特定の人へ向けての反論という意味合いになるかと。一応、論敵はベネター型と想定しているようですけど、ベネター型の中でもかなり特殊な認識の人に該当すると思われます。 修正はしなくても、ここでの対話を読めば伝わりますので大丈夫です。
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おちょこ
おちょこ
2024.07.16
キノコについて。よく答えてくれたね。また煙に巻かれるのかと思ってたよ。除去できない苦痛について。もちろん除去できるようになると断言はできないししてない。私が断言したのは今除去できている苦痛が将来にわたって除去され続けるということです。何で区別しないんだと言われればまずキノコと違ってまだ決まり切ってはいないということ。つまり苦痛除去の歴史は未だに続いていて今の時点で区別してしまうと時代の変化に合わせて変え続けなければならないってのがあるね。もちろんめんどくさいというのもあるし普通は全ての苦痛などという勘違いはしないというのもあるし実際過去から見てみればできなかったことができるようになっていったという見方もできるからです。「苦痛は除去できる」と言った時にまず根拠となるのは今除去できる苦痛があるということです。これは過去からずっと継続して成功し続けています。再現性があるということです。そしてあなたは勘違いしてなかったらしいが、この議論の始まりにまずベネターによる印象操作があって苦痛は除去できないものなんだと思い込んでしまう人が多いということがあります。これは生来楽観的である私自身がそうだったから間違いない。5ちゃんねるでも「そんなの当然だろ」といった類の一切の突っ込みも無かった。相手の方も受け入れを渋りまくる始末でした。悲観的な先入観からスタートしてしまうというこの隠された罠。これを突破するために重要な反論であると私は思います。なので「苦痛は除去できる」という反論は議論の初心者への道しるべとしての意味合いが強くある。迷わないようにあらかじめ示しておく。現に私は十年近くもこのトラップに引っ掛かり続けたのでね。そしてそれを全ての苦痛を除去できるのか!?と勘違いする人はいない。普通の人は私の意図を見抜いてくれるはずです。天国という目標はちゃんと別で語ってますのでね。いつまでも議論の出発点に仕掛けられた罠をそのままにはしておけない。ということで誰もそんな誤読はしないのであなたの変更要求は拒否します。それと「苦痛は出生に起因しない」というのも初心者向けの意見です。今となってはね。両方とも議論の基礎として知っておいてもらいたいことです。
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匿名
2024.07.15
拘るねぇ。なんでそんなにそこに拘るの?本筋とはズレた枝葉の部分なのに。あなたが「苦痛に区別はない」とか〇〇な発言をするから、それが論理的に誤りだということを説明するために「キノコは食べられる」という命題を例として出したんだよ。集合X(キノコ)、要素a(食用キノコ)、要素b(毒キノコ)、この関係性が今の論点での苦痛の分類にもそのまま当て嵌まるということ。 森の散歩道での「キノコって食べられるよね」、「え、種類によるでしょ」という会話↑これはあなたが実際の会話のシチュエーションを気にするから、即興で会話風にしただけ。「え、種類によるでしょ」という返しが実際のコミュニケーションとして普通とは感じないならそれでもいいよ。そこは大して重要じゃないんだ。というか、もうこの話は終わってるんだよね。あなたは除去できる苦痛(食用キノコ)と除去できない苦痛(毒キノコ)の区別がちゃんとできるマトモな認識を持っているようなので。区別はできてるんだけど、めんどくさいから「苦痛は除去できる」と表現しただけなんでしょ?実質的には{(除去可能な苦痛は除去できる)≒(除去不可能な苦痛は除去できない)}={(苦痛には除去できるものもある)≒(苦痛には除去できないものもある)}と。なら何の問題もないよ。だったら「区別はない」なんて言うなとは思うけど。多分、私に同意するのが悔しいから屁理屈捏ねてるだけでしょう。素直じゃない。素直になれば人は成長できます。成長しないといつまでも〇〇のままです。もうキノコの話はこれ以上しないよ。ここは枝葉だからダラダラと喋ることは普通はしません。もし理解できない部分があるならあとは自分で勉強して下さい。私はあなたの先生じゃない。 残るは、除去できない苦痛の将来について。ここの認識がズレたままです。一番議論しないといけない部分なのに、なぜここをスルーするの?都合が悪いから?私の認識は「将来的に様々な苦痛が除去できるようになるかはわからない」。あなたの認識は「『明日私があなたになることはない』と断言できるのと同レベルの確率で、将来的に苦痛は除去できるようになると断言できる」とのことだけど、〇〇なことを言っていると自覚は?何故〇〇なあなたごときが「人類の将来」という壮大なスケールの話をほぼ確定といえる程の高確率で断言できるのでしょうか?専門家でも無理ですよ?私のような常人には理解に苦しみます。 ところで、あなたはつい数日前に除去できない可能性を認めていたけど、矛盾してますよね。上の話でもそうだけど言ってることがメチャクチャ。多分、既に書いたように「こいつには同意したくない」という悔しさやちっぽけなプライドなどお気持ち由来の屁理屈を重ねるからこのような恥ずかしい事態に追い込まれているのだと思います。それか、もしも天然でやってるならマジで〇〇と断言します。どっちかハッキリさせてくれませんか? どうでもいいけど、あなたアラフィフなんですよね、なんとも言えない気持ちになりますねぇ…。悪いけど、あなたはリアルに基礎学力が普通の人より劣っているのだと思います。碌に勉強してこなかったでしょ?どうする?まだ続けますか?私のここでの目標は達成されたに等しいから、辞めてもいいかなって思ってるんですけど。苦しいようでしたらこの書き込みはコメント承認しないで結構です。恥ずかしいでしょうし。それでも尚、あなたが続けたければお返事下さい。もう少し付き合ってあげてもいいですよ。
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おちょこ
おちょこ
2024.07.14
ん~じゃあもう少し突っ込んでみます。友人と森で散歩をしていて珍しい色と形のキノコがあったとする。友人がそれをみて「キノコって食べられるよね」と聞いてきたらあなたはどうする?「え、種類によるでしょ」と答えるんですよね?「普通は」って言ってるし。全然普通じゃないと思いますけど。それともあれは論理学の例題であって本当はそんな風に答えることはないの?どっち?このたとえ話をした時にあなたは論理学なんて一言も言ってなかった。当然単なるたとえ話だと思っていましたが違うのかな?いつの間にか論理学の授業に突入してたってわけ?だとすればそれはいつから?何だか深い霧に包まれたようになってますが大丈夫かな?ちゃんと使い分けられてる?
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匿名
2024.07.12
「どんな人にも親がちょうど二人いる」「食べる野菜も食べない野菜もあります」「鯨は哺乳類で且つ海にいます。」「キノコは食べられる」これ、高校生くらい論理の問題にでてくる文章。他にもこういうの沢山ありますよ。あなたはこれらに「こんなのどんなシチュエーションでいうの?イカれてるw」とか突っ込み入れちゃうタイプでしょ。言ったでしょ?実際の会話のシチュエーションとか考えないのでいいのですよ。あなたは〇〇だから、問題の意図が理解できずにこれを実際の話し言葉として捉えてしまうのです。 で?話し言葉で食用キノコを食用キノコと呼ぶべきかって?それはケースバイケースに決まってるでしょ。友達通しで食べ物の話をしている時などにキノコと言えば何かしらの食用キノコだろうと分かるから通じればいいと思う。料理の名前でも「キノコの〜〜」とかありますけど、まさか毒キノコが入ってるとは思いませんしね。そうではなくて、対象が必ずしも食用に限定されずキノコ全般について厳密に精査する必要がある場合などにはキチンと食用と付けるべきです。 話が横に逸れてるので元に戻すと、この話は苦痛に除去できるものと除去できないもののがあるという所から始まってる。あなたが「そんな区別はない」なんて〇〇なこと言い出すものだから「区別はあるよ」って説明しただけ。ところが、よくよく聞けばあなたもちゃんと頭の中では区別してるんじゃん。厳密には「除去する手段がある苦痛は除去できる」、つまり、「苦痛には除去できるものもある」ということだけど、めんどくさいから「苦痛は除去できる」って言っただけだよね?なら「区別はない」なんて言わないで「めんどくさいからそう言っただけ」って言えばいいのに。なんだっけ?人類の苦痛との戦いの歴史?なにそれ?アホじゃないの。そんな話してません。 あとは除去できない苦痛の将来についての認識だけど、言いたいことはもう書いたよ。反論あればどうぞ。辞めたければお返事はしないでいいです。逃げるのは自由です。追わないし。
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おちょこ
おちょこ
2024.07.12
ちょっと待ってね。初めて本物のアスペと出会ったこの機会に聞いておきたいことがある。やっぱり食用キノコは普段から食用キノコと呼ぶべきだという気持ちはあるの?そしてそうしない社会に対して不満あるいは怒りみたいなものはあるの?あるいは他にも日常生活においておかしいと感じる表現とかある?そのへんの正直な気持ちを純粋な好奇心として聞いておきたい。よろしければ語ってもらえるかな?
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匿名
2024.07.11
キノコの例の件。論理学の問題集とかでキチンと学ぶといいよ。「そんなの日常会話の中であるかいw」というような命題とかいっぱいでてくるから。要は日常会話としてあり得るかは全く関係なくて、内容が論理として成立するかどうかの話です。あなたには理解できないかもしれないけど。問題として出された命題に一々突っ込み入れて前に進まなそう。 あなたと私の共通認識として、現時点で解決方法が無い苦痛に苦しむ人は存在するということ。この苦痛を「除去できない苦痛」とします。食い違いがあるのは除去できない苦痛の将来の話。あなたの認識は「除去できるようになると断言できる」、私の認識は「どうなるかは断定できない」。一応、教えてあげるけど、当然ながら私の認識には「除去できるようになる可能性」は含まれています。さて、妥当性があるのはどちらでしょう。前にあなたは除去できない可能性があることを認めていたけどなぁ、まぁいいか。「明日私があなたになることはない」?それはもう確率としては限りなくゼロに近いから無いと断言してもいいでしょ。それと同レベルの確率で「人類の将来」が分かると思うの?同じ未来でも到達までの期間と現実性が全く違う。分かるわけがない。はっきり言わせてもらうけど、あなた頭悪いでしょ?集合と要素の概念も理解してなさそうだし。基礎学力なさそう。 現在進行系で研究されている様々な分野のテクノロジーが失敗に終わる可能性は十分にあり得りますよ。何でないと思ったの?例えば、ALSを完治させる治療法は今の所ありませんが、このまま研究を続けても状況は変わらない可能性があります。その場合、ALSの苦しみは除去不可能な苦痛として残り続けことになります。その他にも天変地異や核戦争で人類そのものが壊滅的なダメージを受ける可能性だって十分にある。なんでそれらの可能性を無視できるのでしょうか?答えは明確、あなたが〇〇だからです。〇〇だから色々な可能性を考慮できず短絡的に断言してしまうのです。 私はここでの一連流れで、初めから苦痛の直接の原因は出生ではなく他にあるといっていますよ。というか、普通そう思うでしょ?上司に怒られて嫌な気持ちになった原因は寝坊して遅刻をしたからとか。これを「生まれたからだ!」と誤解するのはあなたが会話した5ちゃんねらーの反出生主義者だけですよ。こんな当たり前のことで嘘つくわけないでしょ。ブログが「反出生主義への反撃」というタイトルだから当然、反出生主義者の私は反応しました。でも、中身が全然間違ってて反出生主義への反論になってないから指摘してるわけ。だからブログのタイトル修正しなよ。修正案は出しました。中々良くできてると思います。 段々何も言い返せなくて人格攻撃に走ってきましたねー。いいですよー。その調子その調子。笑える。お別れするんじゃなかっでしたっけ?私、いいましたよね、「辞めたければコメント承認しないでいいよ、続けたければお返事どうぞ」って。ということは続けたいんでしょ?ここまでやりあってるんだから、お互い様なんじゃ無い?頭の程度は一緒にして欲しくないけど。
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おちょこ
おちょこ
2024.07.11
「キノコって食べられるよね」↑これもおかしいっしょw私なら「あ?」とか「頭大丈夫か?」とか言いたいところですね。もしくは無言。腹立つ質問なので。あなた学校でいじめられたっしょ?もしくは孤立してたっしょ?隠してもわかるわかる。そんで反出生主義にはまったと。実に分かりやすい。要はあなたは日常会話が壊滅的にできないってことなんですよ。日本語はできるけどどこか外国人風な会話になってしまう。アスペってやつですね。「キノコって食べられるよね」と言ったら冷たい対応か下手すりゃ怒られることになるんですよ。そういう経験はあると思いますけど。「え、種類によるでしょ」なんて優しい反応は返ってきません。アスペってのはこだわりが強いらしいですね。決して自分は間違っていないと思い込んでるでしょ?確かに間違ってはいません。キノコと言えば厳密には毒キノコを含むすべてのキノコを指します。国語のテストではそれでいいんですよ。でも日常会話でそれやっちゃいけない。コミュニケーションに障害が発生するので。「キノコ」と言えば食用、それ以外は「毒キノコ」。教えてあげたでしょ?ちゃんと咀嚼してください。人生は全て学びの場です。普通は子供時代に学ぶべき表現です。でもあなたは自分のこだわりを貫いてしまった。まあキノコについて考えを改めてもあまり意味ないんですけどね。他の単語でもあなたはやらかしますのでね。もし今働いてて辛いようなら転職をお勧めします。清掃業なんかいいんじゃないかな?あんまり人と関わろうとすると余計に苦しむだけです。自分に向いたことをしましょう。あなたは勘違いしてなかったんですか?ではなぜそれを私が指摘するまで言わなかったんですか?大事な論点でしょうに。一つも除去できないとなればあなたみたいに悲観的な方へ流されがちになるんですよ。でもいくつか除去されてるのであれば話は変わってくるんですよ。そこに気付けば芋づる式に今までどうやって除去されてきたのかとか、今苦痛除去につながる研究とかされてんのかとか、今自分が苦しんでるのにも何か原因があって除去可能なんじゃないの?とか考えがポジティブになるんですね。大事なポイントですよ。それに気づいていながら一切発言しなかったんですか?嘘くっさ。誰が信じるんですかそんなもん。私は反出生主義を無効化しようなどと大それたことは考えてません。ただ単におかしなところを指摘して、うっとおしいニュー倫理とやらを拒否したいだけです。どうにもならない苦痛や不幸があるから出産を控えろって短絡的ですよねとか苦痛はどうやら徐々に減る方向に向かっているらしいよとかまあ言いたい放題にはさせないよってところですね。それがそこそこ効いてるからあなたはここにわざわざ乗り込んできたんじゃないの?永遠に除去できないという意味なら反対しますが今除去できない苦痛があるということは当然認めますよ。いっぱいありすぎて困るって感じですね。そこで心折れるか折れないかの違いに過ぎないと私は思います。心折れちゃったら確かに反出生主義は魅力的に見えるのかなとは思いますね。私みたいなアンチや知ったこっちゃないっていう人たちは別の道を行きますって言ってるでしょ?さようなら~では嫌なの?さみしいの?かまってほしいの?
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匿名
2024.07.11
「キノコ。キノコ(茸、菌、蕈、英: Mushroom)とは、特定の菌類のうちで、比較的大型の(しばしば突起した)菌類が胞子整形のために作り出す複雑な構造、あるいは担子器果そのものをいう俗称である。」 そうですよ?だから普通は「キノコは食べられる」なんて表現しません。なぜなら、範囲が広すぎるから。一般論として表現が間違っているという例だから、発言のシチュエーションとか深く考えないでいいんですよwでは、例えば、友人と森で散歩をしていて珍しい色と形のキノコがあったとする。友人がそれをみて「キノコって食べられるよね」って言ったら普通は「え、種類によるでしょ」ってなります。「当然だろ、食べられるよ、じゃあこのキノコ食べようか」って返事をして家に持ち帰って食べて仲良く二人で死ぬのがあなたが例にあげた〇〇な二人の会話。「キノコ狩り」は「食用」という言葉を省いているというか、「キノコ狩り」でもう単語になってますよね。目的は「食用キノコを狩って持ち帰りおいしく食べること」です。キノコならなんでもいいわけじゃなくて、ちゃんと区別がされています。あなたの「苦痛は除去できる」に当て嵌めると「(除去可能な)苦痛は除去できる」=「除去できる苦痛もある」=「除去できない苦痛もある」ってことでしょ。(除去可能な)の部分は面倒臭いから省いてただけですよねぇ。 治療可能な病気は、治療により苦痛を除去可能。治療不可能な病気は、治療が不可なので苦痛の除去が不可能。静電気で指がバチってなる痛みによる苦痛は、静電気対策グッズで除去が可能。不快な暑さや寒さはエアコンにより苦痛の除去が可能。このように、苦痛には除去できるものと除去できないものがあります。脳内の変なオリジナル・ストーリーで区別がないことにしない。区別はキチンとされています。まさかこんな簡単なことに解説を加えないといけなくなるとは思わなかったです。さすが、〇〇です。何を屁理屈捏ねて意地張ってるの?素直になりましょう。論理的にあなたの敗北です。反論は不成立です。残念。 そして、なんだかよく分からないけど、私を5ちゃんねらーの〇〇と一緒にするの辞めてくれませんか?ベネターの呪縛wwwなんですかそれ。これだけテクノロジーが発達した世界であらゆる苦痛の解決手段が一切無いわけないでしょ。私はそんな〇〇な勘違いはしません。頭痛がすれば鎮痛剤があるし、歯が痛ければ歯医者に行けばいい。あなたの言っている苦痛除外はそういう話でしょ?私の言っていることは一貫して「除去できない苦痛もある。そして、その苦痛が将来的に除去できるかはわからない」ということです。反出生主義は本人の努力や選択ではどうにもならない苦痛や不幸が根拠になってますので、それを解決しない限り反出生主義を完全に無効にすることはできないのです。あなたは「今は除去できない苦痛も将来は必ず除去できるようになる」と断言するということでいいですかね?除去できない苦痛は将来も除去できない可能性があることを認める発言をしてましたが?悔しくて認めたくないから方向性変える?自分の首を絞めることになるから辞めた方がいいのではないでしょうか。「必ず除去できるようになる」と断言するのであれば、あなたはそう言い切れる根拠を説明しなければならない。先に言っておきますが、過去にある程度の苦痛を除去可能にした実績から「未来も必ずトントン拍子で上手くいく」とは断言できないですよ。それは希望的観測に基づく〇〇な主張なので謹んで下さい。アラフィフが〇〇な発言をすることは恥ずかしいことです。繰り返し述べているように、将来のことなどどうなるかは知る由もないので、せいぜい「除去できるようになる可能性がある」という話以上にはならないのですよ。しかも議論の内容が「人類の苦痛」という大きなスケールの話ですから、予測はかなり難しいです。人類という括りも、苦痛という括りも壮大過ぎるのです。もう一度聞くけど、あなたってなんでそんなに論理展開が雑なの?苦痛って凄く広範囲で複雑で抽象的な主観なんだけど、苦痛の一言で片付けられるわけないでしょ。ベネターもだけどあなたも大概ですよ。だからいったでしょ?予知能力でもない限り断言なんて出来っこないのですよ。「まとめると苦痛は除去できるしその証拠もある。一つも除去できないと思っているならばそれは勘違いである。その勘違いの中にいる人々に対してこの反論は未だに有効である。」↑「一つも」除去できないと思うのが勘違いならば、除去できない苦痛があることは認めたと理解していいかな?というか、過去に認める発言していたしね。今更か。その時点であなたの反論は反出生主義に対しては不成立ってことだけど、このブログは歯医者や頭痛薬やエアコンや静電気対策グッズのことを知らない〇〇向けのブログで、〇〇に対しては有効で...
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おちょこ
おちょこ
2024.07.10
例えばキノコ狩りって言葉を知ってるでしょう。当然食用のキノコを指すんですね。食用キノコという言葉もありますがめんどくさいのでキノコと普通は呼ぶんですよ。「キノコは食べられる」って人生初耳ですね。そんな表現は聞いたことないです。イカレた表現だと私は思います。どんなシチュエーションでそういう表現を使うのか教えてくれます?意図が読めないし何か怖いんですが。キチガ〇の独り言みたい。悶絶してる人にそんなこと言いませんし。あなたの表現はどこか狂ってるな~。大丈夫か?苦痛が一部除去されたなら「苦痛は除去できる」と言えます。将来にわたっても除去し続けることができますので。そういう意味では未来はある程度断定できるんですよ。明日私があなたになることはないっていうのと同じですね。ということで「除去できないかも」は通らないですね~。残念。「治療可能」とか「治療不可能」とかいう区別は普通にしますよね。↑苦痛の話が治療になってるし。大丈夫か~?苦痛は除去できるのかできないのかと言えばできるってことですね。実際私が指摘するまで苦痛など除去できるはずがないと考える反出生主義者がいたことは事実なんですね。そしてその勘違いをおそらくあのスレッドに参加していた人たち全てが共有していた。それどころか反出生主義の議論に参加していた人間のほとんどはあなたも含めてこの勘違いの中にいた。私自身も「苦痛は分離できる」という発言をする直前まで勘違いしていた。ブログの本文にその経緯が少しだけ書かれています。あれはまだ半年ぐらい前の話です。なぜか皆揃って苦痛は一つも除去できないと思い込んでいた。おそらくベネターの呪縛によるものだと思われます。つまりこの反論のもともとの意味は苦痛は決して一切除去不能なものではないということを伝えることにあったんですね。そしてあの時あの場において、それはすぐに受け入れられることはなかった。苦痛を一切除去不能なものであると見做す人たちはすぐさまそれをその通りだと認めるのが難しかったんです。証拠を挙げられてるにもかかわらずです。それほど洗脳が強かったんでしょうね。まとめると苦痛は除去できるしその証拠もある。一つも除去できないと思っているならばそれは勘違いである。その勘違いの中にいる人々に対してこの反論は未だに有効である。そして初めて議論の中に入った時、高確率で勘違いに憑りつかれることが予想される。それを防ぐのがこの反論の意味なのです。また今度ブログの内容を更新しておきます。
   反出生主義への二つの反論と一つの提案
匿名
2024.07.10
「キノコは食べられる」という表現は普通使いません。「キノコ」と「毒キノコ」という単語があって普段から区別されてるんですね。「キノコ」と言えば食用、それ以外は「毒キノコ」と呼ぶんですよ。だから「キノコは食べられる」って言うと当たり前のこと言ってんじゃねーよ、となるんですね。」↑うーん、苦しいですね。必死に言い訳考えてそれですか。キノコ=食用w、キノコがどういうものを指すか調べて下さい。正しくは、キノコという群の中の一部に食用のものがあるのですよ。キノコ=食用という認識の人は間違いなく〇〇です。「キノコは食べられる」と言う表現は普通使いません。こんなこと言う人は〇〇です。これは正しい。これに「当たり前だろ」と返す人はそれはそれで〇〇です。つまり、あなたの提示した会話は〇〇通しの会話です。マトモな人は「モノによるよね」、とか「食用はね」と返します。因みに、この例えで「キノコは食べられる」と申しているのはあなたですよ。解決しがたい苦痛によって悶絶してる人に「苦痛は除去できる!」って言っても「除去できねーじゃねーか…」って言われますよ。失礼ですけど、あなた集合と要素の概念って理解してないでしょ?自分でどれだけ変なこといってるか自覚なさそうなので、残念ながら、あなたを◯◯と認定します。 「今現在除去できる苦痛があるんだから「苦痛は除去できる」というのは嘘ではない」という表現も成立するんですよ。↑しません。いったでしょ?主語が大き過ぎるって。頭痛の苦痛は除去できる。ALSの苦痛は除去できない。ALSの苦痛は将来的に除去できるようになるかもしれない。苦痛って簡単にいうけど、どれだけ幅が広くて抽象的な概念か理解してないでしょ?あなたは論理展開が雑過ぎるのですよ。これはベネターにも言える。それと、過去にある苦痛が除去された=今後も他の苦痛が除去され続けるとは断定できない。ここについての正しい表現はせいぜい「除去できるようになる可能性がある」と言うレベルの話です。あなた自分でそういってたでしょ?忘れちゃった?将来のことなんてわかるわけないですよね。あなたに予知能力があるなら別だけど。 ところで、あなたって本当に文章読めないですよね。苦痛除去についての私の認識は既に書きました。あなたの目標は全く否定していませんし、苦痛は今よりも少しは減ると思ってますし、また、減ることを望んでいますよ。ただし、残念ながら現時点で除去できない苦痛は実際に存在し、それに対して「苦痛は除去できる!」っていっても通りません。将来の話をしているにしても「除去できるかも」ってことでしょ、「除去できないかも」で相殺されてしまうので反論として不成立。言明できない未来のことを「できるったらできるんだい!(多分)」って言われてもね 「ちなみに何故苦痛には除去できる苦痛とできない苦痛の区別がないのかわかりますか?それは苦痛除去の歴史がまだ続いているからです。言葉にできなくても未だに苦痛との戦いというものが続いているんだと皆が知っているんです。だから区別しようと思わないんですよ。」↑区別はあります。脳内の変な物語を根拠に勝手にないことにしないこと。病気でも治る病気と治らない病気があるでしょ。ここでのお話のように「除去」というワードは使わないと思いますけど、「治療可能」とか「治療不可能」とかいう区別は普通にしますよね。 「私が反論するまで皆黙ってたんですよ。誰も突っ込まなかった。当然反出生主義者の責任なんですね」↑へぇ、そうなんですね。ということは、5ちゃんねるのそのスレに居合わせた反出生主義者の方々は揃いも揃って〇〇だったってことですね。何人いたか知らないけど。反出生主義者全員がそのスレの人達と同意見と錯覚してしまうあなたはやはり主語の大きい〇〇だと確信しました。 つまり、このブログの総論としては「今まで苦痛は除去できてきたけど、まだ除去できない苦痛もある。でも、頑張って少しづつ苦痛を減らそう!(✳︎ただし不可能な可能性もあります)」ということでいいのかな。なんでこれを反論だと思ってしまったのですかね。ただの主のお気持ち表明ではないですか。意気込みとしてはいいと思う。前向きで。ただロジックとしてはお粗末過ぎるというか、ロジックになっていないです。最初に言ったように、ブログ立てて大っぴらにやるなら他人を納得させるに足るクオリティの論を展開して下さい。 もう辛そうなんで、嫌だったらコメント承認しないでいいですよ。それで終わりにできます。続けたいならお返事どうぞ。私はどっちでもいいです。
   反出生主義への二つの反論と一つの提案
おちょこ
おちょこ
2024.07.09
「キノコは食べられる」という表現は普通使いません。「キノコ」と「毒キノコ」という単語があって普段から区別されてるんですね。「キノコ」と言えば食用、それ以外は「毒キノコ」と呼ぶんですよ。だから「キノコは食べられる」って言うと当たり前のこと言ってんじゃねーよ、となるんですね。苦痛にはそういう区別がないんですよ。だから「今現在除去できる苦痛があるんだから「苦痛は除去できる」というのは嘘ではない」という表現も成立するんですよ。おまけに除去された苦痛は将来にわたっても除去され続けますので別にこれから一つも苦痛が除去できなくても変わらず「苦痛は除去できる」と言えるんですね。もちろん私は将来新たに除去される苦痛が出て来るだろうと見込んでいますし、大体の人はそこで同意するんですよ。あなたみたいにニヒリズム、ペシミズム、シニシズムに脳みそやられちゃってる人以外はね。しつこく書きますが、各分野において様々な目標が建てられ研究されているっていう事実を認めましょう。あなたはそんなもん全部失敗に終わればいいんだとでも考えてらっしゃるようですが。ちなみに何故苦痛には除去できる苦痛とできない苦痛の区別がないのかわかりますか?それは苦痛除去の歴史がまだ続いているからです。言葉にできなくても未だに苦痛との戦いというものが続いているんだと皆が知っているんです。だから区別しようと思わないんですよ。あなたみたいな○○以外はね。「指がバチってなったのも、風邪を引いたのも、虫歯で歯が痛いのも、会社で上司に怒られたのも、全部生まれたからだぁ!直接の原因など無い!」なんていう人は思考回路が特殊過ぎるでしょ。その人個人の認識を「反出生主義」という大きな主語で語ってしまっている。」↑私が反論するまで皆黙ってたんですよ。誰も突っ込まなかった。当然反出生主義者の責任なんですね。具体的事件だとか事故だとかを例にして「これら全て出生が原因である。」と言ってた人を私はたくさん見てきた。さすがにもうあまり見かけなくなりましたが。事ここに及んではお互いの立場を尊重すべきであると思います。滅ぶなら滅ぶで結構。だれも止めてませんからしっかり滅んでください。私たちは苦痛を除去しながら生きる道を選びます。もうあなたとの議論は尽くされました。お別れの時だと思います。
   反出生主義への二つの反論と一つの提案
匿名
2024.07.08
私があなたを軽蔑するのは「まだ苦痛がいっぱいあるぞ、努力なんかどうでもいいから結果を出せ」という非常に子供じみた論調なんですよ↑あなたはそう感じた、ということですね。私はそんな意図は全くなくて、あなたの反論が不成立であることの証明を筋道立てて丁寧に説明している次第です。「苦痛は除去できる」←→「これからも除去していけるだろうと思わせるぐらいの実績がもう十分あること」日本語の意味合いとして全然違います。「除去できる」という表現は言明、つまり断定です。将来を断定できないことはあなたも同意してます。将来のことを述べたいなら先ほど提示したB案への修正をお勧めします。尚、実績を捉えて「いけると思う」というのはあなたの感想です。世の中には非常に多種多様な苦痛が存在し、原因がわかっていてもどうしようもないものもあります。それらは過去の実績とは無関係に解決し難い人間特有の苦しみとして存在し続けるのでは?という推測も成立してしまいます。よって、何の反論にもなっていません。反論というからにはあなたの感想ではなくてキチンと論理的に説明を行う必要があります。断定できないことを無駄に主張しないように注意下さい。私みたいなのに突っ込まれて黙るしかなくなるので。
   反出生主義への二つの反論と一つの提案
匿名
2024.07.08
「今現在除去できる苦痛があるんだから「苦痛は除去できる」というのは嘘ではないんですよ。」 ↑間違いです。これはもう反出生主義とか天国とか関係なく、単純に日本語とか論理の話でしかないですよ。苦痛の中に除去できる苦痛があるからといって「苦痛は除去できる」とするのは間違いです。例えば、キノコの中に食べられるキノコがあるからといって「キノコは食べられる」とするのは表現として誤り。何故なら、全てのキノコが食べられるわけではなく毒キノコも存在するから。調べると、日本に生息するキノコは5,000~6,000種と言われており、その中で200種程度が食用キノコらしいです。シイタケやエノキダケなどの食用キノコを根拠に「キノコは食べられる!」とか言ってる人は馬鹿ですね、そのうち毒キノコを食べて死ぬでしょう。括りが広すぎる。主語が大きすぎる。主語が大きい人は頭が悪い傾向にあります。大雑把で雑。正しくは「食べられるキノコもある」とか「食用キノコは食べられる」となります。 1でもあなたは主語を拡大してしまっている。「指がバチってなったのも、風邪を引いたのも、虫歯で歯が痛いのも、会社で上司に怒られたのも、全部生まれたからだぁ!直接の原因など無い!」なんていう人は思考回路が特殊過ぎるでしょ。その人個人の認識を「反出生主義」という大きな主語で語ってしまっている。 そこで、私は2に対して二つの修正案を提示しました。A案「苦痛には除去できるものもある」、B案「苦痛は将来的に除去できるようになるかもしれない」というものです。A案は現時点での事実を、B案は将来の可能性を示しています。どちらでもいいですが、あなたは将来のことを語るのがお好きなようなので、B案をお勧めします。なんなら「苦痛には除去できるものがあり、今は除去できない苦痛も将来は除去できるようになるかもしれない」でもいいですよ。少し長いけど。この修正案はあなたとの対話で判明したあなた自身の認識を正確に示しています。言わばあなたと私の合作です。でも、あなたは頑なに「苦痛は除去できる!」と譲らない。理由は明確で、正しい表現に修正すると反論として不成立になってしまいますからね。反出生主義の論拠は除去できない苦痛ですから、「苦痛には除去できないものもあり、今は除去できない苦痛は将来も除去できないかもしれない」とも同時に言えてしまうわけです。反出生主義を論理的に崩すことには失敗してしまったってわけ。あなたにできることと言えば、遺憾のお気持ちを表明しつつ私の悪口をいうくらいのものです。 私はピンポイントでこれだけをずっと指摘し続けています。でも、残念ながらあなたには言葉があまり通じないから「ぼくは天国を目指してるだけだ!」とか的外れなお返事を頂くことが多いけど、そこには批判や指摘を加える理由は何も無いからどうでもいいんですよね。「お別れして別の道をいきましょう」って何の話ですか?私としては反出生主義を受け入れろなどと申し上げているつもりは微塵もなく、あなたの反論に論点を合わせ、それが誤りだと指摘しているに過ぎません。悔しいのはわかりますけど、悪あがきはもう辞めたら?余計みっともないですよ。それとも、本当に頭がクラクラしてしまって私の言っていることが理解不能?ならば本物の馬鹿ってことになりますけど。難しいことなど何一つ言っていません。悔しくて引くに引けないのか、本物の馬鹿なのか、どっちでしょうね。判断に悩みます。
   反出生主義への二つの反論と一つの提案
おちょこ
おちょこ
2024.07.08
「苦痛は除去できる」だと「どんな苦痛も除去できる」と捉えられてしまう。誰がそんな誤解するんですか。あなたぐらいですよ。私の言ってることはこれからも除去していけるだろうと思わせるぐらいの実績がもう十分あることとすでに述べたように多くの分野において様々な目標が建てられ同時進行で研究がなされている、そういう時代に私たちは生きているということです。私があなたを軽蔑するのは「まだ苦痛がいっぱいあるぞ、努力なんかどうでもいいから結果を出せ」という非常に子供じみた論調なんですよ。正直あなたを見てると虫唾が走るし、はよ滅んでくれとしか思えない。結果を最初から求めるな、と。昨日書いた暖房の歴史について少しは思いを馳せてみろ、と。いくら言っても届きそうにないから私はあなたに見切りをつけたんですよ。苦痛は少しずつしか減らせない。それが許せないなら憤死してください。クソガキに付き合ってる暇はない。お別れしましょうって言ったでしょ?あなたとは相容れない。天国に限りなく近い世界になったら、わたしは喜んで反出生主義を放棄しましょう?あなたは要らないから(笑)。仲間だとも思っていないし。
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匿名
2024.07.07
誤字がありましたので訂正させて頂きます。失礼しました。>天国に限らない世界になったら、わたしは喜んで反出生主義を放棄しましょう↓>天国に限りなく近い世界になったら、わたしは喜んで反出生主義を放棄しましょう
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匿名
2024.07.07
今現在除去できる苦痛があるんだから「苦痛は除去できる」というのは嘘ではないんですよ。↑完全な嘘ではないという弁解としては、「まぁ、うん」って感じですね。ただ、「苦痛は除去できる」だと「どんな苦痛も除去できる」と捉えられてしまう。実際はそんなことないですよね。だから「そんなことないよ。ほら、この苦痛は除去できないでしょ」と言い返されてしまう。つまり、苦痛という括りが大き過ぎる。風呂敷を広げ過ぎ。だから表現として誤り。修正案は出しました。早く修正しましょう。何回も同じこと言わせない。そして、反出生主義は除去できない苦痛が根拠になってるので、それは置き去りのまま。これの何が反論なの?なんでこんなのでブログを立ててしまったの?「よっしゃ!これはクリティカルな反論だ!」とか思ってしまったの?というか、なんてこんな単純な話で頭がクラクラするの?頭が悪いからでしょうね。 エアコンは確かに文明の利器と呼ぶにふさわしい素晴らしいテクノロジーだと思いますよ、ボタン一つで快適な室温に制御できるなんて大したものです。ただ、それと同じように今ある苦痛が無くなるとは思えないかな。「エアコンが発明された!なんかイケそうな気がする!」って…。凄く短絡な気がするけど。少しは減るでしょう。でも少し減ったくらいでは反出生主義はなくならないです。天国に限らない世界になったら、わたしは喜んで反出生主義を放棄しましょう。あなたは天国とは程遠い現在で天国的なロジックを展開してしまってる。せっかちな人だ。落ち着いて下さい。 
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おちょこ
おちょこ
2024.07.07
うーん頭がクラクラしてきましたね。今現在除去できる苦痛があるんだから「苦痛は除去できる」というのは嘘ではないんですよ。寒けりゃ暖房入れればよいというふうにお手軽になるまでの過程についても考えてもらいたい。まず焚火からはじまり、雨風をしのげる建築技術の向上を経て囲炉裏なり暖炉なりが出てきてやがて石油ストーブとなり今エアコンと、ちょっと考えただけでこれだけの段階を経て今があるんですね。決して単純でも短絡でもなく「取るべき手順」を踏んできてるんですよ。短絡なのはそういうことも想像できないあなたの頭の中です。もう諦めましょう。あなたは頭悪いので反出生主義にはまったんであって、私たちは別の道を行きます。お別れしましょうって言ったでしょ?私はそんなに馬鹿にはなれない。
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匿名
2024.07.07
天国や苦痛除去についての私の認識について書きましょうか。誤解を受けているような気がするので。まず天国。これは可能性がゼロとまでは言い切れませんが、あまりあてにしてません。それくらい現実離れした理想世界ということです。ここは共通認識ですね。苦痛除去について。私を含む今生きている人間にとって苦痛は少ない方がよい。なので、苦痛はどんどん除去されるべきです。様々な技術が進歩することを望みます。そういう意味では、私はあなたの「天国を目指す」という目標は全く否定してません。天国にならなくても、色々な苦痛が除去されて減っていくのは良いことです。 ただ、どうでしょうね、実際問題として、2のように「寒けりゃ暖房入れれば良い」みたいな単純で短絡な理屈では除去できない苦痛はたくさんあって、それらが今後除去可能になるとも言い切れない。原因だけ明らかになってもそれを除去する技術が確立しなければ何の意味もない。なので、「苦痛は除去できる」という表現だと明らかに語弊があるわけです。丸であらゆる苦痛はエアコンのスイッチを入れるだけで不快感が消えるように除去可能であるような言い方。本当にそうだったら反出生主義への反論として有効ですけど、嘘ですよね。 ここまでの私との対話の中で、あなたは「今は除去できない苦痛があること」、そして「その苦痛は将来的にも除去できない可能性があること」を認めている。であれば、「苦痛は除去できる」は嘘だったということになります。よって、反論としては不成立ということです。ここまで丁寧に書けば流石にわかるでしょ。もう馬鹿のフリは辞めましょうよ。
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